天気の良い日は毎日宝満山に登ってると言うと概ね驚かれます。片道50km運転せねばならない距離だし、山は往復3時間弱かかるし、なんで毎日同じ山?飽きないの?・・・といったことなんだろうと思います。
夏の北ア登山に向けてトレーニングで始めた宝満登山ですが、もはやすでに毎日のルーティーンになってるんですよね。起きたら着替えてお湯飲んで着替持って出発。流れとしては、
登山口に着いたら何も考えず靴履き替えて出発(天気とか時間とか疲れとか)。何も考えずに五感だけを意識して。手や足の裏の感覚や息遣い、肌感、目に映る山の景色、落ち葉の香ばしい匂い、風の音や鳥のさえずり。
一の鳥居で「今日もよろしくお願いします」と参道と左右の狛犬に挨拶。
3合目の水場で少しだけ湧水を飲む(山の一部を身体に入れる感じ)。
7合目の中宮跡にある祭壇(三体の像)に今日の挨拶。
頂上の竈門(かまど)神社上宮に御礼と感謝の参拝。
太陽(この世をつかさどる主、神だと思ってる)に感謝。
帰路には7合目の中宮跡祭壇、一の鳥居、狛犬に「今日もありがとうございました」
ただ登り・ただ降りる。汗をかかない程度のペースで。(実際にはかなり汗かくけど)
という感じです。同じ道を登り降りしてるのになぜか飽きがこない。帰着すると毎回満足感と充実感があるんですね。おそらくこの充実感があるからだろうと思います。20名程度おられる毎日登山組の方々も同じ感覚だと思います。いま、繰り返し「反応しない練習」という本を読んでるんですが、その本の中で一つの事に集中する、頭で考えず五感で感じるなど、かなり近い行動であることを発見しました。瞑想まではいってないけれど、かなり近い感触があります。何度か”ふと気付くと頂上だった”という経験があります。めちゃめちゃ集中してた感じ(またはぼーっとしてたのかも?)でした。
以前は登るスピードで同世代に追い越されたりするとなんで?と思ったり、がんばって若い人について行こうとしたり、スポーツとして登山してたように思います。今はそれぞれのペースで良いし、逆に早く動くと感じれるものも感じれないだろうと思ってます。より山と自然と同化できるように、丁寧に感じて丁寧に時間を過ごしたい、って感じです。
というわけで、引き続き宝満参拝を継続して行こうと思います。とりあえずやり続けてみる、そしたらわかるよね?っていうブログのタイトル通りだと思います。何かまた新しい感覚を発見したら追って・・・。(標高差680m 約12,000歩 1200Kcal)
コースのご紹介
>追記
というわけで本日も佳き日でした。なーむー👏