迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

「沈黙 - サイレンス」

 

オヤジと先ほど鑑賞。信仰心希薄なオレには難しかった。ただ、何かを信じすぎること(本作ではキリスト教)の危うさ、だけは理解できた。長崎や各地の隠れキリシタンの歴史を知るうえでためになった。どうして観たのか?っていうと、原作者の遠藤周作さんのお手軽で面白い「狐狸庵シリーズ」や「ぐうたらシリーズ」を中学生時代にやたら読んでたから。本作、真面目な歴史ものなので☆対象外ということで。

 

退職後、何をしますか?2

昨夏同居の母が亡くなり事務作業も終了、それで昨年末から2年半ぶりに活動再開。75歳くらいまで仕事したい(=社会参加したい)ので、その糧になるような仕事を開始しよう~って。今までは何かと手続きがあったり、父と2人の生活にも役割分担が安定してきてヒマになってきたし。(現在オレの役割は庭など外回り・家の修理・税や保険や事務手続き・買い出しと夕食賄い。朝は冷凍したご飯をチンして納豆などで各自。)このままここ地元で暮らします。

 

今までは旅行会社に登録してインバウンド向けの単発派遣をやったり(楽しみであり経験値増やすため)、何か新しいサービスを自分でできないかと市の創業セミナー参加したりしてみてた。しかし、人口が毎年約1%減少+急速な高齢化(毎年約2%)してゆきつつある状況、行きつけの流行ってた居酒屋さんが隣の中規模市(30万人)に移転することにしたり、老舗のラーメン屋さんも年内に後継者居なくてやめるという話を聞いたりする中で、時間とお金を投資して新しいサービスを実行するのは容易じゃない。

本市においては、高齢化が全国平均、県平均を上回るスピードで進行しており、平成 26 年 度9月時点で高齢化率 29.5%と、市民の 3.4 人に 1 人が 65 歳以上の高齢者という状況となっ ています。さらに、平成 29 年(2017 年)の高齢化率は 31.5%に達し、市民の 3.2 人に 1 人 が 65 歳以上の高齢者という状況を迎える。(市高齢者福祉計画より引用)

 

充実させねばならなくて、必要とされてる仕事としては介護福祉がまず考えられるよね。それは明らかで理解できる。だけどこの問題は在宅介護や地域の病院とか包括ケアのシステム作りで遠大な行政の仕事。50代のオジサンが今から介護福祉の勉強始めるのは問題ないけど、知識や経験が備わった頃には体力落ちてるだろうし、長くできる仕事じゃない。昨年の母の介護は身内の介護だからできたけど仕事としてやれる自信がない。(てか、お世話になる方だし、自分で知ってて損はないけどね)

 

次に考えられるのはここの唯一の産業である観光。市の調査資料によると、2011年からV字回復をして2015年には過去最高の年間136万人と伸びている。見た目にも外国からのインバウンド伸長が顕著になってる。自分の現在までの業務ににた傾向だし、好きな分野なんだけど川下りさんと鰻屋さんがやってて、季節性あるし人手でも要るので既に奮闘中。観光地そばに住んでるので商店を開業するというのはあるんだけど、自分ちが観光地に面してるならまだしも借りてまでやるのは厳しい。(貸し店舗はよく入れ替わっている) Airbnbやるにはおれんち奥に入りすぎてるし、uberはすげぇやりたいけど、まだ東京だけで田舎じゃできない。

 

そうやって考えていくと場所を選ばないネットビジネスが適してる環境なんだろうと思う。ヤフオクやジモティで数回売ったことある程度の経験だけど、使ってないものが使ってもらえて、かつ収入になって嬉しいというのはものすご感じたけど、商品を企画製作したりしたことない。正確に言うとオリジナルを製作したいといった欲求もないんだよね。ネットで買うものは本がほとんど。だいたい、欲しいものが登山と波乗り関係以外にほぼ無い状態なので、何が売れそうとかそういうことにも疎い・・・これ決定的。YouTuberな友人が2人もいるけど(驚)、あの作業は地道で大変で才能もいるし、外をうろうろしたり、どもーって人と接したいオレにはできない。


で、その結果、こないだ退職後、何して暮らしますかに書いたように、「就職して60まで(もしくは65まで)つなぎ、その後自分で自営できるような仕事を選ぶ」か「引き続き自営の経験値になるようなバイトをやりつつ、小さく自営もやっていく」の2つ。ただ漫然と何でもいいから就活したりバイトするのじゃ先が無いのだと思ってる。(何が正解なのかは自分次第って感じだよね)

 

なんだっけ、話が前のと一緒になってきたな、、、。ぐるぐる考え巡ってるって書いてたけど、今回も何をいいたいんだったか忘れた(笑)多分、75くらまで働くことになるけどどうするの?っていうのと、それを田舎で実現するのは容易じゃないよーっていいたかったのか。

 

あ、そうそう、それで就活し始めて海外に力をいれよとうしてる会社を受けようと思って(将来年金で海外中長期滞在も視野だから)その人材紹介会社(福岡)に面接に行ったんだよね、その話をしたかったんだった。でももう長く書いちゃったので、またにしますが、都会で働いてる経験あると、田舎へ帰郷して就職するのは大変ですって話です。(結婚したら帰郷なんて実家が自営やってる以外いないよね。帰れるのは独身だけ)・・・つづくw 

 

隣にアパート建設中

実家西隣の空き地にアパート建設が始まった。もともと祖母の兄の家で、小さい頃は隣でよく遊んでたんだよね。でも亡くなって以来、引き継いだ親戚の兄ちゃんも帰郷して住むこともなく(仕事で帰郷できない)遠縁の方に売却された。うちに買わないか?と話しがあったみたいだけど、自分ちだけでも持て余してる状況だった。買った方は最初、書道教室をやろうということで意気込んでおられたけど、残念ながら実現する前に御亡くなりになってしまった。

 

息子さんが引き継がれたんだけど、住むことも難しいからそのままになってた。駐車場にお借りしたこともあったので、草刈りや垣根積みを代わりにやってたりしたんだけど、ついに「アパート建てることにしました」って。へぇ、ここで賃貸アパート経営できるんだなぁーと。市内の母の実家も妹が相続して同じくアパートにして貸してる。妹んとこながら、大丈夫なのか?と思ってる。(義弟が詳しくてコストと業者さん次第で何とか問題無いみたい)

 

で、実際、この市の人口はどうなってるんだろう?なんでアパート需要があるのだろうとホームページで検索した。人口推移をグラフにしてみた。こういう可視化する作業めっちゃ好きなのだ。数字の羅列だとピンとこない。自分で作ることで頭に入るから。

 

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  • 人口は1960年から2000年くらいまでは何とか8万人を保ってるけど、2000年以降は毎年約1%ずつ減少してる。
  • 女性が少しだけ多いけど、男女差はない。
  • 世帯数はずっと右肩上がりで推移し、そろそろ頭打ちにみえる。
  • 人口が減少してるのに世帯数が増加してるってのは、それだけ空き家が増加してるってこと。

 

おー、世帯数増えてるじゃん! 人口が減ってるから世帯数も自ずと減ってるかと思いきや右肩上がりで増えてる。そうかー 大家族だった昔から核家族化してるってことだね。実家あるけど同居せず、結婚したら市内に住むってことだろうね。(流出多く流入数は少なかったから)それと広い家のメンテもできないから単独の老人の方もいる様子。 だから地方の賃貸アパート経営がめちゃ増えてるんだね。金利も安くて融資先として銀行も出すんだろうね。ウチにもよくアパート業者の営業さんが来られて、やりませんか~と来てたもんね。無理でしょって思って話聞いたことないけどね。

 

それより深刻なのは何たって人口減少。仮にこのまま毎年1%減少すると10年で6万人を割り、ゼロに向かってすすんでいくよね。しかも当然少子化と高齢化で若年層と労働人口は減り、限界集落化していくのは避けられなさそう。さて、ITやテクノロジーもどんどん取り入れよりシンプルで質の高い生活に、新しい価値感とマインドに切り替えて、コンパクトでインフラそろった町になれるのだろうか。ここに限らず地方がうまく着地してほしい。オレ居なくなるからいいってもんじゃないよね。どこの地方も同じだよね。

 

2011年くらいから人口激減の本(2050年8000万人とかいろいろ)を読んでたけど、実際に現象を体感しだしたかな。去年の東洋経済の記事、参考になります↓


さーてそろそろ晩御飯の用意。今日は水炊きだ~(今日も鍋だ。楽だからw)

「弁護人」


映画『弁護人』予告編

 

佐賀CIEMAにて鑑賞。現在、韓国は大統領問題で混乱してるけど、1981年、軍事政権下の韓国で実際に起きた冤罪事件を題材、主人公はこの軍事政権に挑む冤罪事件の弁護士。それは故盧泰愚(ノ・テウ)大統領の若き弁護士時代。1981年と言えば俺らは18歳の青春真っ只中。あの頃韓国はこんな状態だったのか、と何もしらないままだった。韓国では1100万人(人口の2割)の動員。久々の社会派映画(リアル)でオレもオヤジも観るべきだよね、の☆☆☆☆ →映画「弁護人

退職後、何して暮らしますか。

2年前の夏、独身だし、体力有る今のうちにやりたいことやっておこうと思い退職、国内外で波乗り山登り行脚をやった。1年後からは母親の介護に専念してました。そして昨年母が他界してオヤジと2人で暮らし始めて半年経過。10月にはその後のいろいろな手続きも終わった。

 

でも、オヤジもオレも胸にぽっかり開いたところに母不在の空虚感が詰まってる気分が続いてた。そこでこんな感じだったら動いたほうがいーんでないのと、父と前から行こうかと思ってた先の戦争時代の慰霊に行こうと思い、沖縄や鹿児島の知覧、長崎の戦争原爆など慰霊の旅で回った。旅から戻ると、普段は散歩したり(たまに奮起してランニングしたり)温泉行ったり、読書したり、ちょろっとバイトしたりして過ごしてた。

 

年末からは完全に落ち着いてきて、だんだん暇になったので今年は仕事モードにしようかなと思ってたんですね。それで、さてどんな仕事をやろうか、またやるべきか。前から書いてるけど、75歳くらいまではずーっと働く必要あるのはわかってるんだけどね。(資金的、お金稼ぐことで萎縮せずにお金を使えるようになる、地域や社会とのコミュニケーション)それに84になるオヤジと一緒に暮らすことを既に選択してる。

 

・・・で、昨年末からどうしようかと思いつつ、やっぱり今の旅行会社の単発バイトに加え、頻度をあげながら考えようと思いバイト仕事検索を再開した。ここらの地域で時給額ではなく、楽しめて60からの先につながりそうなもの。そうやって探してるうちに興味あるのはだんだん通勤域外の都市部の仕事に惹かれてく。海外駐在ってのにえらく惹かれたりする(田舎に住むって決めてるのにアホだ)。そう、ここらには単純作業系の仕事がメインでその場で終わっちゃうのが多くて、近い将来の為になりそうなバイトってのがなかなか無いのだ。あるにはあるけどたまにしかない。

 

どこかの社員になってもすぐに退職の60歳になっちゃって、また再スタートを切らねばならないと思い、社員は避けようと思ってたんだけど、仕事の中味で考えるとどうしても興味あるのはそちらになってしまう。こうしてバイトか社員か?ってぐるぐるしだしてしまった。要するに今を取るのか先を取るのか。マインド的にはあと20年くらい生きそうでまだ53歳(永遠感)と、もう53歳だからやりたいことやろう(刹那感)という両面でせめぎ合ってる。若い頃はもう完全に永遠感だけだったし、45歳くらいからは刹那感が圧倒的になり、今や混沌。すんげーアンビバ(相反)だよねー。よく言う「人生は壮大な暇つぶし」、「貴重な瞬間瞬間の連続」っていうの、どっちもわかるようになったな・・・。

 

したがい、田舎に住む前提で現実の選択肢としては

1.短い期間になるけど地元の会社に就職し、退職後はバイトかボランティア(65以降につながる仕事を選ぶ)→65歳までの自由度が無くなることを許容する。

2.楽しめそうなバイトをやりつつ、自立してやれそうなことを継続して考える→収入が低いことを許容する かな。

 

早く給料下がってもいいから、正社員でも週に4日勤務とか週5なら1日6時間労働とかにならないかねぇ。もう数年で退職年齢も70歳とかになるだろうに、まだ具体的に何も変わってきてないかな。子供が居る家庭の時短勤務みたいにさ。正社員=週5~6日働いて、かつ残業40時間とかになっちゃうんだったら、正社員やだよ、っていう人多いと思うよ。どうやって正規社員で時短勤務にして家事や趣味をやるかって言う方向だと思うよ。(2年前、退職する時に会社にお願い提案して、自宅業務で必要な時に働くということで数ヶ月だけ給料4分の1のスタンバイ給料制にしてもらった。非常にいい方法だと思った。社会に定着すればいいのに、てかいろんな働き方を会社に提案してみればいいのに)

 

しかし残された膨大で長く、しかし明日をも知れないという時間(≒人生)を、ここの田舎でどうやって昇華させるか、、、けっこう難しい(いや、かなり)けどやってみるしかないよねーっていう感じ。これ、ひょっとするとこれまでで一番のチャレンジングな局面にいるかな~と。周りの地元の判断は、ここではどんどん閉店や人口減り、近くの都市郊外へ移転する事業者も多いことなど、ここで何かやるのはほぼ無理だと疲弊してる。ダメ出しされたほうが燃えちゃうっていう性格を活かす場面だろーな。

(余計かもですが、田舎に関わらず事業主や職人さんは無問題ですが大半の会社員の方はかならずこの感じになると思いますよ。)

 

シニアは75歳から

リタイアするってこと

やっぱり選択はシンプル

人生は出会った人との思い出でできている