迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

人生はシンプル

夢を見てて深夜に起きた。眠ろうとしたけど、目が覚めてしまった。

まだ午前2時すぎ。どこかを歩いてる夢だった、ように思う。

思い出したのは又隣りのNさんの夕暮れ散歩。Nさん宅は昔オレが通ってた幼稚園で、Nさんは幼稚園の先生だった。担任だったことはないけど。

おろらくご年齢は90歳近くになると思う。

ここのところ夕刻頃、ゆっくりとオレの家の西の方向に散歩されてる。ふらつくのでゆっくりとゆっくりと。倒れないように手を壁に着きながら。俺んちは壁ではなく垣根なので、時々垣根を掴みながら。

去年亡くなったオヤジも近い状況だった。オレは働かずに助っ人で家にいたのでコケないように一緒に歩いたけれど。

こんにちわと声をかける。今にも倒れてしまいそうで心配になる。だけどすごい意思を感じるんだよね。私は歩く、歩かなきゃって。歩くべき明日に備えてるんだと思う。

このことを思うに、これが最終的に人生なんだと思う。「歩いて(少し動いて)、ご飯食べて、寝る」だけなのだ。シンプル。オヤジもNさんも本当の姿を見せてくれてる。

だから、そんなに将来を不安に思って悩む必要も何もない。希望をもって今日少し動くだけ。焦って色々と試行錯誤したところで諸行無常は変わらない。楽しかった思いや感情の起伏はあれど、今日起こった事象を確認すると「少し動いて、ご飯食べて、寝る」だけ。誰だって物理現象としてはそう。

だから明日に何も不安に思うことも不要。ぼくら自身や周りのみんなも消えてなくなってしまう普遍の運命。何をしたところで諸行無常は不変。だから逆に、そう思い悩むこともない。だから心を動かす必要もない。あぁ、これが心が「反応しない」ということなのだろう。

つまるところシンプルに「動いて、食べて、寝るだけ」だから。

今日も山を登って一日を始めよう。少しやりたいことをやって、ご飯を食べ、ゆっくり寝よう。それでいい。少しだけベターな明日を夢想して動いて。両親が他界して所在なく迷子になってたんだけど、所在があっても無くても、少しの希望を持ってシンプルに今日を過ごすだけ。楽しかった思い出と共にね。

なんかスーッと降りてきた感じがしてます。

(間違いなのかもしれないことはいつもの通り・・・)