迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

心が揺れた~AMC同窓会

1996年4月オープンしたAMCキャナルシティ13の開業メンバーと会いました。東京、シンガポール、香港から参加の人も。土曜日夜の飲み会にはとーちゃんお世話で不参加でしたが、日曜のドライブ+ランチに参加。会話は英語と日本語が混ざったいつもの乱雑形式(オレ以外2世&帰国子女ゆえ)。もう泣きそうな懐かしさと切なさでした。

このメンバーは最初に採用された日本人で、米国カンサスシティに8週間ほど滞在し、映画館運営の研修を受けました。チケット売り場(BOX)案内と清掃係(USHER)、売店(CONCESSION)、映写(BOOTH)の4つのスタッフ分野を順に行い、その後経営側のマネジャー研修を行いました。業務としては、売上金管理、売店在庫管理、スタッフスケジュール、上映スケジュール作成、マーケティングなどです。

カンザスシティ郊外の住居に2人づつ住み、都心部の会社や郊外の映画館に通う日々でした。当然、色々な事件も起こります・・・よね。ほんとこのあたりの研修中の記憶が一番懐かしく。ほんとうにあの体験をシェアして話せるのは幸せです。仕事の意義の中で、お金以外ではおそらく一生懸命に努力した「あの頃の記憶をシェアできること」じゃないかと思います。

96年4月までは日本にはシネマコンプレックスと呼ばれる複合映画館は神奈川県の海老名に1館あるだけで、都市部に開業したのは私たちが最初で、業界では”黒船”として注目されていました。当初は新作の配給を受けることができず厳しいスタートでしたが、その後順調に推移、年間動員数150万人を記録しました。その頃の週末は1日5000人くらいのお客様数でポップコーンを数時間作り続けたり、チケット数時間売ってたり(まだネット予約が無かった、1万人の日もあった)、ほんとに驚きの忙しさを経験しました。
研修からその頃を一緒に働いたメンバーで、それぞれ記憶が強烈なんですね。ほんとうにめまぐるしく、素晴らしい日々でした。

その後紆余曲折があり、買収を経て現在に至っています。このメンバーはすでにすべて転職しています。当時スタッフだった方は今でも新しいオーナーのもと活躍されてます。皆退職してしまいましたが、今の映画館にも当然ながらシンパシイを感じ、よりよくなって欲しいと願っています。

あの頃の経緯がWikiに掲載されています。ほんと青春の1ページ、いや10ページです。

あ~~~ ここまで書いて思ったけど、

キャナルシティIMAXでみんなでトップガン観ればよかった!!
しまった~~~😢