迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

働かざる者食うべからず…じゃないよね。

1980年代の話だけど、社会人になって東京で働きだしてから、会社を辞めるまでの5年半、ずーっと「仕事って何?」「働くことってどういうこと?」と自分に質問してて、でもなかなか解答は見つからず、みんな真面目に働いてるからって感じで、でも起きたら毎日ラッシュアワーにもまれて通勤する日々だった。

結局、出勤する電車(東西線)の混雑具合が半端じゃなく、口パクで息がうまく吸えなくなるような恐怖感で途中で電車降りたりして、電車に乗るのが苦痛で都会暮らしも嫌になり、最終的に「なんだこれ?」と思い退職し九州に帰郷。

当時の社会の一般常識は「終身雇用」とともに「働かざる者食うべからず」が当たり前だった。そして転職すること=はぐれもの(駄目なやつ)だったんだよね。今思えば、働いてみたこともない会社で一生働き続けるなんて信じられないのだけど、80年代はそんな感じだったんですよ。ほんと。

特に「働かざる者食うべからず」のマインドは強い潮流で、世間一般そうだという威圧感があった。つまり、働かない(働けない)人は社会悪だと認識されてたのだ。弱肉強食的な発想で、今思えば信じられないほど相当に差別的な考え方だったと思うし、それぞれ個人の理由があるし、でも今でもそう思ってる人は多いような気がする。そんなのは個人の裁量であって外野が口出しする話じゃないのにね。

自分のことに話を戻すと、「働くってのは耐え抜くこと?」ひいては、「働くってどういうことなん?」を自問し続けたんだよね。でもそんな社会だから、とにかく頑張ってお金稼いで結婚して家庭作って・・・が「ねばならない」流れで、一点張りだった。

で、退職後に出た自分の解答としては、何で仕事しなきゃいけないのか?わからないけど、生活するお金は必要なので、仕事するなら好きなことをやるという方向になった。週5は働くということは人生の7分の5は仕事になっちゃう訳だから、好きな事をしないなんてありえないっていうね。その頃だから、周りにはまだそんな人もおらず、みんな会社に出勤し続ける中、おそらく社会的にやばい人になっていったんだけど、28歳でプータロー(今でいうニートみたい感じ)初体験してからは、なぜか度胸ができてきて「誰もやってないんなら、オレが最初の人になればいいじゃん」となった。固定収入より幸せ感のほうが大事じゃんと。なぜそう思えたのかはわからない。

まぁ、その後も何度も好きな事したい、好きなことをすべきでしょ?を盾に離転職してきて、なんとか無事に59歳までたどり着いてる。残念ながら、ずっと金銭的に不安定な生活だったし、安定的な生活を求められる結婚は考えれなかった。それに、何しろひとつところ(価値観や社会通念)に固定されるのがとても苦手だったのだ。(今思えば、間違いだったと思う。2人とも同じような感覚の人だったら良かった…)

ちょっと長くなっちゃったけど、今日見たnoteで「何で働くの?」「ほんとは無理して働かなくてもいいんじゃない?」っていうことを真正面から書いてある文章に初めて出会ったんですよ。今までの(そして今でも続いてると思われる)「働かざる者は食うべからず」なのか?そうじゃないよね。働きたい人は働いて、そうじゃない人もどうにか切り捨てられずに生きれる世界が望ましいよね。(生活保護を悪用してる連中は論外)

生活保護なんてとても恥ずかしくて無理、だと思ってる人が大多数でしょう。生活保護っていう言葉が良くないよね。国が保護してやるぜっていう上から目線だから、国民保障とかに変更したほうがいいと思う。多様な生きたかが容認される社会になって欲しいよね。生活保護を今まで具体的に考えたことなかったけど、様々な理由で困窮している人は生活保護を検討する価値があると思うよ。恥ずかしくなんかないから。

(なお、この記事はかなり攻撃的な表現となってますが、意識的だと思います。詳しい解説ありです。)

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