迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

オヤジとの日々。

オヤジとの2人暮らしもそろそろ4年。さすがに今年88歳になるオヤジが何考えてるかもだいたいわかる。代弁すると、

毎日、特にやることなくて「ただ生きてるだけ」。昨日や明日を考えない。夢や希望を考えない。リアルな死がすぐ傍にあるから。仲の良かった友達ももう居ない。でも暗くなって不幸な気分でもない。何たって病気に悩んでない。健康そのものだから。楽しみは週3のトレーニング(通所介護サービス)に通うことと、土日の外食+映画鑑賞。しかし少し悲しい。食事には無頓着で何でもOK。(やはり戦時中の昭和1桁の飢えた記憶がある。何度も芋のツルばかり食べて過ごした幼少期の話をしてくれる)何回かちゃかして聞いてみたけど、やっぱそうだった。

これはオレだって同じ感覚。基本「ただ生きてるだけ」。普段は昨日や明日を考えない。ただオレはまだ夢を見れる。いつか海外に住もうかなとか、世界をちゃんと回ろうとか。美味しいものを食べたいとか。普段の楽しみはこの感覚を癒すための温泉。温泉入って冷水浴するともう身体的に満足して、余計に考えなくて済むから。だいたい毎日通ってる温泉メンバーのほとんどはこの感覚なんだと思う。土曜はオヤジの日であり映画の日。オヤジと一緒に映画を観るのが楽しみ。日曜は自分の遊びの日。山や海に行って気分転換。今はバイクにのってワインディングを走ってる。

土日のために生きてて、平日は「ただ生きてるだけ」。最初の頃は頭がおかしくなるんじゃないか?っていうくらい焦りや困惑を感じたけど(今まで人生は毎日楽しいと思うことしかやらず、実際それに近い感覚で過ごせてきたから)、田舎でオヤジと一緒に生活することを選択したので、仕方のないことと割り切ってからは慣れちゃったね。

あ、なんかこの感じ、耳鳴りに似てる。最初は焦って恐怖。でももう治療不可なんだ、と自覚してからは気にならなくなった。今もキーンと鳴ってるけどね。人生には不都合な事、自分では制御できないこと、事情も起きるのだ、そしてそれに”合わせる”しかないのだってこと。抵抗すべく努力はするけど、確定したできないことは忘れて慣れるしかない。老いもまったくそうだよね。

 

話を戻すと、

オヤジとは、朝起きたら「今日も一日がんばっていこう」、夜は「それでは、さようなら~」で寝る。ちゃかしながら言ってるけど、もう会えないかもしれないから。「ただ生きてるだけ」でいい。この平穏な日々はいつまで続けられるのだろうかと思う。確実にやってっくる本格的な介護の日々が始まるのが恐怖ではあるけど、きっと”合わせて”いけると思う。そう願ってる。