迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

何のため(なぜ)生きる?

めんどうな質問だよね〜w だけど「何のため又はなぜ生きるのか?」この問いは若いころから誰でも何度も考えたことだろうと思います。オレの場合、だいたい小学生くらいで「死んだらどうなるのだろう?」って考えた後くらいからかなぁ(笑) あの頃は「電柱になれたら200年くらいは生きれるのに」と思った。いーなーコンクリートって(爆) しかし死んでしまったら、考えることができなくなるという事に気づき愕然としたね。暗黒の無という恐怖におののいたねぇ〜。小学生で毎日夜が怖かったw 


話戻すとね、そんでこの問いは恥ずかしくて親にも聞かないし、なんでか?なので各自で本読んだりして考えてきたハズだよね。(考えたこと無いって人、かえって尊敬する!)併せて「仕事って何?」もほぼイコールに近い質問だとも思ってて。でも50になったってさ、なかなか「○○のために生きてます」もしくは・・・のためではなくても、「生きてる意味はこれです」ときっぱり言える人少ない気がするんだよね。まぁ普通そんな哲学っぽいというか、頭でっかち感満載の聞き方しないからかもだけどね。


・・・で、昨日さ逆にね「なぜ死んではいけないか?」って考えに関してはむかーしに回答を得ていたわけですね、自分の中で。それは「親や周りの人たちが悲しむから」と即答可能、でしょ? ・・・で、思ったことはよ、これを逆に考えて「何のため、又はなぜ生きるのか?」ってのは「親や周りのひとたちを悲しませないようにする」ってことじゃんね、と。なーんだひょっとしてコレだけじゃねーの?って。才能や活力ある人だと周りを幸せにするってとこまで行くんだろうけどね。つまり、結局のところ自分がどうしたい、ってことではなく、(出来ればそこで終わるのではなく、)自分がしたいことを通じて、両親や周りの為に周りを悲しませないために生きるってことだねー。


だから、自分の満足で終わるものを生きる目的にしてはダメなんじゃねーの?ってことだね。(自分の満足と周りの喜びがイコールだと一番いいね)多分、家族を持ってる人はその時点で気づいてるんだと思う。わざわざ言わないしねぇ。ずーっと独身だからなか気づかないんだよね(汗) 尊敬する北野武さんの「生きてるだけですごいんだ」っていうのも生物学的な確率もあるけど、こういうことなんだなぁ〜と。


・・・いつものごとく間違ってるかも?なのはお約束(笑)