迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

坂を下る→平坦な道へ、イメージチェンジ

人生も登山と同じく坂を降りるのがけっこう難しい。なんか疲労感一杯で坂を下るのが面倒って感じ。

 

個人的なイメージなんだけど、登山始めてから人生が登山みたく思えてるんですよね。若い頃は頂上も意識せずただ目の前の森を抜け、登山道を登ってゆき、途中で見あげても頂上があるかさえわからない。途中で頂上らしきものが見えてきても全然近づかない。遠いな~と思いつつ少しづつ山道を登っていって。そんである日ここは頂上?っていう視界が開けた場所に出る。気づくと平坦な道なので歩くのが楽になってる。ん、こりゃひょっとして頂上か? そんで、ある時気づくと頂上を越えて山を下ってた。振り返れば頂上が見える。おーそうか、下りだしたかと自覚した。・・・っていうイメージ。

 

登山やってる人ならわかると思うんだけど、もう目の前の一歩一歩を進むしかなくって、ある時はきついだけだったりする。もちろん景色が良かったり、登ること自体が楽しい時も多い。それで結局その一歩が合計されて山の頂上に到着できる。頂上からは今まで1面しか見えなかった尾根の向こう側や360度の景色が見れる。こういう景色だったかーと感動したりする。

 

人生でも(=ほぼ仕事のことだけど)同じように感じてる。丘や谷をいくつか越えて、登ったなという感じになり、歩くのが(仕事が)楽になったら多分そこは頂上、もしくは稜線。視界も開けてこういうところかと認識する。そして山の麓までよく見えてくる。人生が見えてくる。あぁいままで登りだったけど、あの辺りまで降りるんだなと理解する。人によってはそれからまた次の頂きが見えてきてまた登りだしたりするんだと思う。いくつも頂きを登り続ける人だっているけど。

 

下山する時って怪我しやすいんだよね。頂上行ったぞっていう安堵感に疲れが重なって注意力が散漫になって。今まで山で怪我したのは全て下山時。安易にステップしてバランスを崩し足首を捻挫するのだ。ちょうど今、人生を下山してて要注意してなければいけない時なんだけど、山と同じく疲れてて安易にステップしてる気がするんだよね。視力や体力も着実に落ちてるしね。なんだかけっこうな急坂を下るような感じがしてる。(まぁ離職したばっかりってのもあるけど)そう思うとうんざりし始めて、これがずーっと疲れててたりしてる原因じゃないかと思えてきた。

 

友人知人数名が「もう、いつ死んでもいいや」と言ったのを聞いたことはあったけど、信じられなかった。そんなネガティブで勿体ない感覚にどうやってなるのか?と思ってた。・・・現在は自分で言うには至らないけど、理解できる。彼らはおれより先に下りはじめてたんだね。精神的に疲れて、自信無くなり希望が持てなくなるんだよね。

 

このままじゃ危うくって進めない。オレもそう言いだすのだけは避けたい。そんな風に考えてたら、今日新しい事実(らしきもの)を思いついた。人生を山に例えるイメージ自体が間違いだったんじゃないかってこと。山を仕事に例えたこと自体、その立ち位置とか収入とか社会的なモノサシで発想したものであって、ほぼ他者からの評価意識だったんじゃないかと。人からどう思われようと大事なのは自分の幸福感じゃね~って何度も書いてるのに。なんだよ、めちゃめちゃ勘違いじゃねーか(恥)

 

それによーく考えれば、平坦な道(時間)を延々と歩いてきただけだし、このあとも淡々と歩くだけなのだ。楽しかったりシンドかったりしながら。しかも今までの過去はあるようで記憶の中にしか存在してないし、明日くらいしか歩く道も見えてない。よね? それを今から長い期間、注意して下らなきゃ・・・なんてのは自分で自分に負担かけてるだけでナンセンスだよね。明日~せいぜい1週間とかを意識したほうがいいね。もう明日からは、歳をとるとともに少しづつ能力は落ち続けていくけど、その分ペース落として楽しみながら歩くってことにします。田舎だから社会的評価で判断される場面が多くて面倒なんだけど、それもへらへら~ってかわすことにします。

 

なんか発見した気がする~(勘違いかも知れないのはいつものとーり)