迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

ルーマニアの話・・・

今、来ている会社のシンガポールのワークショップはアジア全域の機材メンテナンスを行っています。中国やベトナム、タイ、オーストラリアなどから修理の為に機材が持ち込まれ、修理して送り出す拠点です。で、シンガポールの正規メンバーに加え、オレらみたいにメンテナンスを行うエンジニアも各地から来ており、それぞれ自国でメンテナンスができるように研修を兼ねて実際に作業しています。(オレは通訳兼ちょっと営業)


で、現在はフィリピン4名とほぼ正規メンバーな(年間を通じて来てる)ルーマニア1名、バングラディシュ1名とオレら日本人2名が一緒に働いていて、会社のゲストハウス(3階建て、5部屋)を8人でシェアして住んでいます。留学とかしてないとちょっと想像着かないかもですが、要は一緒に寝起きして働く場所も一緒なんでほぼ24時間一緒なわけです。あんま日本ではないですね。この感じ。共通語は英語に中国語が混じったSinglishです。


で、今日はいつものように屋台で晩御飯食べたあと、同年代のルーマニアのエンジニアと話してました。やっぱりヨーロッパの話は面白いです。ルーマニアって申し訳ないけどコマネチさんしか知らないと話を振ったら、即答で彼女は62年生まれだと言った。(ということは一個上だね、可愛いかったね♪) コマネチさんは米国に逃げ無事に暮らした話から始まり、ハムやチーズが旨いこと、ワインが格安で旨いこと、自家製のウォッカ並みの酒があること、など盛り上がりました。で彼曰く、とにかく女性に関しては東欧の女性が一番美しくて、街を歩くと何人も振り返るので忙しいほどだ・・・と。すげー自信だった。世界各国の現場(掘削リグ)行ってるので、多分ほんとうにそうなのかもと思った。(オレはインド系の女性が一番綺麗だと思う)


そして彼は89年のルーマニア革命の話をしてくれた。これはね、つい最近の話しだし、興味深かったし、体制の変革で具体的に何が変ったかとか、いろいろ聞いた。何がどうだったと総括なんかできないんだけどね、ついこないだの89年まで社会主義だったってこと、その意味はなんとなく感じれた。まぁ個人の考えも入ってるだろうしね。ちゃんと書物を読みたいと思ったよね。できれば一度行ってみたいと思った。(美人のみならずいろんな意味でw)


それと弟が原発の職員をしているらしく、”FUKUSHIMA”が起きてからチェックで忙しいとのこと。もともと天然ウランが豊富で、現在はカナダの会社が開発してやってるらしいんだけど、311以降、何回もカナダに出張してるらしい。やはり”FUKUSHIMA”で原発の今後が変りつつあるね。そして彼らは25年前、チェルノーブル(チェルノブイリのこと)の被害に遭ったって。食物や飲料が禁止になり、放射能カウンターで街中計測してたって。ユークレイン(ウクライナのこと)は隣国でそんなに離れてないからね、と言ってた。今回これでフクシマはヒロシマやナガサキより世界的に有名になった。これって物凄いマイナス。今後ずっーとチェルノブイリみたいに言われ誰も海外から訪れやしない。本当に取り返しがつかない事態・・・。


やっぱり、年に何回かは海外に仕事に行って、こういう話をできる環境って必要だとしみじみ思った今日でした。