迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

感謝状


3日前くらいに母親宛に電話があった。内容は「今日、澄子先生はご在宅でしょうか・・?」とのこと。申し訳ないけれど現在入院している旨を話すと、今日の同窓会に来られる予定でご連絡を受けていましたので、とのこと。中学校の同窓会で当時担任だった母親ははがきで出席と返事していた模様。きっと返信した時は行けると思っていたんだね。丁寧に電話で辞した。(大川南中学校にて関わりあった皆さま、誠にありがとうございます)


その翌日、電話頂いた方が家にお見えになり、なんと感謝状を製作してたので、お渡しにあがりましたとのこと。当時、母親は体育と音楽の教員でやんちゃな子たちが多い地区の学校だった(漁村地区)なのでスパルタだったのだ。家に何度もやんちゃなにーちゃんねーちゃんが出入りしてたんだよね。とりあええず飯を食べさせて話を聞くスタイルだった。みんな親が家にいなくて寂しいんだよと言ってたのを想い出す。


感謝状を読んで頂ければわかるけど、あの頃はスパルタ式のハードランディグの時代だったのだ。(オレも含めてね)そういう時代だった。今では問題になるかもね。教師をクビになってるかも知れない。でもね、その頃やんちゃだった人ほどちゃんてとしてるって聞いてる。義理や人情を大切にしてる。教員じゃないから理屈は言えないけど、あの頃のひとつのあり方だったんだろうと思う。感謝状を受け取ってほんとにそう思った。彼らにかぎらず未だに「澄子」と親しげに呼び捨てにするやんちゃ上がりの元生徒のオジサンもいる。やっぱいいなと思うよ。


残念なのは、母親が絶食中で薬でボーっとしてて病室で報告したけど眠たくて反応が無かったこと。後日、頭がさえてる時にまた話そう。母は今日、緩和ケア病棟(いわゆるホスピス)の受診を受けました。部屋があれば移る予定です。オヤジ・妹と3人でシフト組んで通ってる僕ら家族も日々の経験でだんだんと成長し、感傷的ではなく積極的に手助けできるようになりつつあります。


・・・そんでなんだかんだ寝る前に想い出すのはあの物語の文頭(何度もしつこいが・・・)
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。