迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。

迷わず行こうよ、いけばわかるさ(たぶん)

2015 スイスアルプス

振り返ると、ずいぶんと行き当たりばったりな人生だった。

一浪して福岡の地方から東京の私立大学へ。
取得単位数ギリギリで卒業、成績は見事にオールC。

胸を張れるものは何もなく、就活もやる気にならず。
結局、友人のお父さんの推薦でなんとか銀行系リース会社に就職した。

最初の配属は福岡支店。
4年半ほど勤め、「まあ、こういう会社人生なんだろうな」と思い始めたころ、本社勤務で東京へ。

ところが満員電車にどうしてもなじめなかった。学生時代は朝晩のラッシュ時に乗ったことなかった。

人に押しつぶされながら通勤する毎日が、耐え難かった。息苦しく鯉のように口パクしたり、耐えれず途中下車したりした。

その頃、村上龍の『愛と幻想のファシズム』にどっぷりはまる。
毎日メモに何かを書きなぐる、ちょっとヤバい日々。

結局、上京して1年そこそこで退職。
計5年半。

1か月ほど百合ヶ丘の友人のアパートに居候したあと、何も決めないまま車に荷物を積んで帰郷した。

今思えば、ここが最初の分岐点だった。

そしてここから、人生が少しおかしくなる。

(いや、だいぶ…)

帰郷するやいなや、その足で友達の紹介を受け、福岡でニュージーランドのヨット製作のアルバイトを始めた。

NZ人と同居し、片言の英語で生活。

学校ではなく、台所と作業場で覚えた英語だった。

半年後、アメリカ系航空会社に営業職で就職。
福岡―ホノルル線の担当になった。

「おお、25歳から英語を勉強し直してて良かったじゃん。
 念願のエアラインだw」

と内心ほくそ笑んだのも束の間。

1年で路線撤退。

GSA社員(航空会社総代理店)だったので、路線閉鎖とともに解雇になった。

けれど不思議と絶望はしなかった。

「また、ぷーたら遊べるやん」

そう思った。

根拠のない自信だけは、なぜか常にあった。

1か月後、今度はアメリカ系ホテルの日本第一号店の開業メンバーに。

営業として3年半、やったこともない宴会を手配したりでバタバタした。

その後、宿泊のお客さんだったアメリカの映画館チェーンの日本進出に参加。

アメリカのカンザスシティで研修を受け、帰国して開業。
気がつけば、連続して3館の開業&店長(支配人)。

あの頃は怖いものがなかった。

「人ができることなら、自分にもできるだろう」

本気でそう思っていた。

今思えば、妄想レベルの自己肯定。
裏を返せば、相当な自己中心だったのだろう。

やがて2度目の上京で、全体運営を担当する立場に。

しかし映画館は買収され、テーマパーク会社へ転籍。
組織も肩書も変わった。

45歳。

仕事もひと段落したし、なんだか、よその家に居候してるような居づらさもあって

「まあ、いったん帰るか」

そう思い、社会人2度目の帰郷。
車に衣類だけ積んで。

帰郷して入った元祖長浜屋(ラーメン屋)で、航空会社時代のお取引先に偶然再会。

そこから石油掘削関連企業へ転職。
長期間シンガポール、カナダ、そしてブラジルまで出張させてもらった。ロッキー山脈の現場とか半日ドライブして行ったサスカチュワンでの露店掘削とか、思い出すぎます。

けれど今度は、出張が増えれば増えるほど、同居している両親のことが気になり始める。

仕事か。家族か。

迷った末に退職。

その後、実家から通える範囲で民泊企業の英語圏オペレーションを1年。
さらにスポーツ設備の会社で輸入担当を3年。

父が朝ごはん自力でレンチンできなくなって、58歳で退職した。

いまは両親ともに見送り、ヘルパーも終了。
実家に単独独居。

60歳からは、30歳のとき「将来の自分が見えなすぎる」と、よくわからないまま掛け始めた個人年金で暮らしてる。

結婚・・・

正直、タイミングがなかった。
というより、発想がなかった。

自分の未熟さで、リスクとしか考えられなかった部分もある。
お付き合いいただいた方には、本当に申し訳ないと思ってる。

62歳になって思う。

よくこんな落ち着かない人生をやってきたもんだ、と。

何屋さんなのか、自分でもよくわからない。
履歴書を書くのが一番大変。

ただ、一貫していたのはたぶんこの感じ。

考えすぎない。
とりあえず行ってみる。

迷っても仕方ない。
行けば、だいたいなんとかなる。

もちろん、全部が正解だったわけじゃない。

向こう見ずで、怖いもの知らずで、ずいぶん周りにも迷惑をかけた。

2回目の帰郷で「もう田舎に籠るだろう」と思い、書き始めたのがこのブログ。

日本の地方のはしっこで生きている、という
ささやかな主張です。

「迷わず行こうよ。行けばわかるさ。」

あの人の言葉を、少し柔らかくしただけ。
(偶然ホテルの喫茶店で隣り合わせて、なんとこんにちわと挨拶してもらった)

これまでは、たしかにそうやって生きてこれた。

これからも、きっとそうだろう。

大きな挑戦はもうできないかもしれない。

でも、小さな一歩くらいなら。

迷わず行こうよ。

行けばわかるさ。

(たぶんw)

 

もう行くことはないだろうリオデジャネイロ