(↑生き方とか、ライフスタイルとか書く時に使ってる無料サンプル写真です。)
ちょっとね、今日ふと開眼?したことがあったから、書いてみようと思います。
まずね、重めの腰痛になって2か月経ってみて、「病気じゃないだけで幸せだ〜」って素直に思えた。で、よく考えたら、62歳になるまで、ずっと幸せだったってことに気づいてなかったなーって。
このブログでも「63歳まであと何日」とかカウントダウンして、自分に残り時間を意識させて、「人生は全力で楽しまなきゃ!いずれ死ぬんだから、今を全開で生きるべき!」って、自分にプレッシャーかけて追い込むのが人生を充実させるコツだって思い込んでたんだよね。
でもね、腰痛で動けなくなって、夏の北アルプス(これだけが今の目標)行くのに準備が間に合わないと最初めっちゃ焦ったんだけど、途中から「いや、腰痛治ったらそれで幸せじゃん。そんなに焦ることないわ」って思えてきて。結局ね、誰だっていつかは死ぬんだから、バタバタしてもしょうがないし、無理して苦しい想いしても意味なくないか?って。
結局、この世からいなくなるのは誰もが避けられないし仕方のないこと。毎日を頑張って消化しようとしすぎてた。無理して頑張り過ぎて病気になったら元も子もないしね。もう少し楽しまないと。
結果、「もっと気楽に、テキトーに、笑って過ごして、時が来たらさようなら」でいいんじゃないかなーって。
思えば若いときからずっと生き急いでた。60過ぎてからも真面目に断捨離だの般若心経読解だのやってたし。気負い過ぎてたねー。
今回の腰痛、めちゃくちゃいい経験だった。学び大きかった♬
これからは、もっとお気楽にいこー!
>5/16 追記
運動好き系の友人2人と話してて再確認。心身の故障や病気の時は上記のように「どうせ死ぬんだから、てきとーに気楽に行こう」と思い、健康・健全を取り戻すと「どうせ死ぬんだから、全力で人生を生きよう」と思う。生き方の指標って、心身の状態で行ったり来たりするんだねー。ずーっと健康だったから気付かなかった。なんか勝手に一定なモノと思い込んでたねー。うまくできてるね。亡くなった両親の介護を通して考えても、だんだんと「健康なだけで幸せ」「歩ければ幸せ」になったよね。そういうことだね。
いつか死んでしまう運命は確定なんだけど、心身の状態でⒶ戦おう!Ⓑまぁいいやの2種類になるってことよね。人生=プロセスそのものだからⒶで行きたいのはやまやまだよねー👍