迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。

「今日は幸せだ」と感じれた佳き日。

(↑3月の那覇、うみそら公園での夕暮れ)

ここ2か月の間、腰痛で運動もできずフラストレーションを感じてた。腰が痛まなければ、足裏のしびれが無ければ、走ったり、山に登ったりして夏の山旅(北ア)に準備できるのに・・・と、ほぼほぼ毎日考えてた。

整骨院に通いだしてだんだんと腰の調子が良くなってきて、今日温泉に浸かって長めの半身浴をしてる時(両足裏の痺れ対策)に気付いたんだよね。

まずは健康で心の負担にになる心配ごとが無いのならば、やることなくてもそれだけで既に十分に幸せだということに。なんか目から鱗のように。そう感じたので、今日はすごく心地よい日を過ごせてる。

幸せっておそらく2段階に分かれてる。まずは健康と諸々の不安がないこと。これが第一段階。何もしなくても健康なだけで十分に幸せ。

これが暇な事をストレスに感じたり「人生を楽しまねば」な欲求が出てくるのは2段階目。2段階目になるとそれらが計画・実現できないことがすごいフラストレーションを感じるようになるのだろう。

人間の脳はそういう風にできてるようだ。健康が欲しい時は健康になるのが必要十分な欲求で、健康になってしまうと次なる欲求を求めるようになるんだね。今回自分の経験としてよく理解できた。

今日現在、腰がもう少しで良くなりそう、足裏の痺れも軽くなったようだ、という状況でまだいつでも運動出来る以前のような健康体にはなってない。だけど今日現在は、走れなくても山に登れなくても今はフラストレーションを感じなくて、思考(感覚?)が第一段階に移行したんだと思う。

つい昨日まで「夏の山旅に体力作りが必要なので早く動けるようにならなきゃ」という強迫観念に追われてたのにね。

身体やマインドが第一段階に移行してるのに、思いだけが第二段階のまま引きずっていたんだなと。それではシンドイ日々になるよね。楽しくない。今日は久しぶりに「今幸せなんだ」とうことを感じれてとてもいい気分です。

人によっては、また家庭環境によっては何段階もあるのかもしれない。でも自分が今どの段階にいて、どんな欲求があるのか?違う階層の欲望を持ってないか?を確認すると、かなりの部分で既に幸せだったりする可能性があると思う。健康な状態だとなかなかそれだけで幸せって感じにくいのだろうけれどね。今回は病気・怪我の功名だね。

誰かが書いてたように、よく確認すれば「幸せってすぐ近くにある」もしくは「もう幸せなんだ」ということなんだと思う。