迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

オヤジとドライブして実感。


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ご飯行こうかのついでに鹿島の祐徳稲荷まで行った。約50㎞。そんでついでに、有明海周遊するかと、諫早の堤防経由で雲仙市多比良港~フェリー~長洲港で周遊。このコース、中学の時に自転車で周遊したコース!久しぶりだった。。。

でね、今回の発見・・・

オヤジのっけて運転しながら事故にあって2人とも死んでもいいなと思ったのだ。飛行機ならさらに一瞬でいいな、とも。びっくりしないでください。ネガティブっていうよりね、「なんか、自由でほっとした」んだよ。何か、しなきゃいけないこととか、したほうがいいかもとか、将来がどうとか、こだわりが何にもなくなった感じがするんだよね。執着が無いのを発見した。伝わるかな。。。

”こうあらねば”みたいな焦りのような、憑き物が落ちた感じ。オヤジは88で半分あちらに足をまたいでるから、発言も達観しだしてる。そういうオヤジと一緒に日々過ごしてるからかもしれない。

人生とか生き方とか、いいも悪いも、無い。ただそれぞれに幾ばくかの時間があるだけ。悲しいわけでもない。自然なだけ。ただそういう時間と空間が存在するだけ。なんか少しだけ境地を見つけたぞ。合掌・・・って感じ♬

 

死に関して、何にも想像できないんだけどね、確実にわかってることをお伝えしときますね。経験してるので間違いないです。

 

一度臨死体験をしたんだけどね、(スキューバ―ダイビングでエア切れ起こした)、人間は死の危機を感じると自然と自分の脳内麻薬のようなものがでてとても素晴らしい体験をさせてくれます。よく走馬灯のように、っていうでしょ?まさにそうで、私の場合は完全に映画でした。小さい頃のフラッシュバックを映画館で観てる。息も苦しくもなく「ただただ幸せ」な時間でした。なので心配ありません。お迎えの時には確実にあの幸せ感がまたやってきます。そのためには死期が近づいたら、余計な麻酔や投薬をしないほうがいいと思います。脳が正常でなくなって、あの走馬灯が訪れなくなるかもしれないと思うので。外から見ると苦しそうで痛そうに見えますが(苦しそうな表情だったと言われた)、本人は「幸せの真っただ中」だからです。なので、最終の刹那のところは心配いらないですよ。ご安心を。

 

ご参照↓

earthtrekker.hatenablog.com