迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

書きたかったこと(注:タイトル後ずけ、ちとヘビィ)

文章が書けなくなった。前と比べると約半分の感じ。思うんだけどね、ここ3年くらい本を読まなくなったんだよね。ちょうど家で介護や作業補助始めてから。気持ちの余裕がなくなってる感じなのかな~。せいぜい風呂に入って気分転換して、ってね。

 

思ってることをうまく表現できないって、悲しいねぇ。前は表現できないにしてもさ、いくらか満足してたんだけどねー。とりあえず。なんだかなぁ。これも年齢のせいだとは思いたくないけどね。

 

・・・だいたいこれくらいの序文みたいのを書くと、前は何か書きたいことが出てきてたんだけどね。今や枯渇気味。これはいいアイデアでしょとか、違うよね、それってとかさ。そういうことがどうでも良くなってきたのかもしれない。何か伝わってるはずだと思いつつ書いてたんだけど、こんなんじゃ無理かもしれないって。

 

ふと今よぎった。書きたいこと。以下、沈鬱に感じられるかもだけど、書いちゃおう。

 

ひとつは、西部邁さんの「自裁死」。何冊か本を読んで難しくてわからなかったりしたけど、TV番組で誰も口にしないような痛烈な経済主義や統計学的手法にまい進する国家批判、人間性の尊重、国への愛着の態度。とにかく予定調和に迎合しない態度がとても恰好良かった。

で、キミはどうすんの?病院にすがるの?どう死ぬのかを自分で決めるべきなんじゃないの?っていうことを宿題として突き付けられたね。尊厳死とか安楽死とか終末医療拒否とかね。死ぬことを考えること=生きることだと思うから、要は「どう生きるのよ、キミは?」ってこと。

 

もうひとつは2年半前の母親の死。母は家に滞在して居たかった。たけどきっと無駄に(体力的にきつい)治療を勧めた。ガンで入院中も病状が良くなるとすぐに「家に帰ろう」と言い、数日でもできるだけ家に連れて戻った。結局最後は家で崩れ落ちてしまい、目の前の母の死の恐怖に耐え切れずオレが救急車を呼んでしまって3度目の入院。そのまま病院で帰らぬ人となった。それと最終的状況で呼吸困難のチアノーゼがとても苦しく見え(外から見ると、きっと本人は意識なかったと思うが)、薬物による安楽死(というべき処置)を提案され承認した。いまだに思い出すと動揺してしまうのは、家ですごしたかったのに放射線など体力考えず積極的治療を進めてしまったこと、救急車を呼ばず自宅で見送ったほうが良かったのかもしれないこと、そして最終判断について、の3点。未だ消化できてない。いくら仏壇に聞いても返答はない。

 

だから西部さんの事は、感じていたことをはっきりと認識させられたのだと思う。自裁死が良いことなのか悪いのかわからない。西部さんは娘さんへの遺書のなかで、「迷惑になりたくなかった」とのこと。このことについては「迷惑かけても良いのではないか」と考えてて、母親の時も「少なくともオレは迷惑をかけてもらって、交流をもっと望んでたオレとしては嬉しかった」という意見だけど、そのことの良し悪しでなく、少なくとも人がどうしたいのか?自分で決めきちんと決定し、表現し伝えておかねばならない。そして意思を尊重しなければと。

 

身近な話をするとこないだ生命保険の見直しをする時、もしがんになったら、初期以外は治療しないでおこうと思った。今日現在もそう思ってる。でも、いざその時になったら何でも試しますとなっちゃうかもしれない。意思が弱いよね。まだ決めきれてない。が、決断し、周りに伝えておかねばならないと思う。尊厳をもってね。そうすればおのずと尊厳をもって見送ってもらえると思う。迷惑をかけないってことはそういうことだと、今になって思う。

 

これから年末年始の楽しい時に何を書いてるんだよー って思う人もいるかもだけど、オレとしてはこの件を今日書けて良かった。少しだけ気分が晴れた気がする。大掃除までは行かないけど、中掃除くらいにはなった。

 

やっぱ書くことはいいと思うね。精神衛生上ね。おかげで被害をうけたじゃん!って方、大丈夫。ビールでも飲んだら忘れますから。。。