迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

全面テキスト化に思うこと-田舎で民泊③

気づいてみると携帯とパソコンにはChatのアプリが5つある。日本人同士だと概ねLINEかMesseger。アジアの友達はWhatsApp。中国系はWeChat。そして昔ながらのSkypeと5個インストールしてる。(Line、Messenger、WeChatはリンク送ったりするし、フリック入力とかしたくないからPCでも使ってる)

 
そして現在の業務自体もクラウドのアプリだし、業務連絡もTrello、勤怠管理も freeeともう全てのコミュニケーションがクラウド上にある。

 

で、この作業はすべてテキストなので、一切言葉を話さない。楽なんだけどね、これでいいのかって思う。コミュニケーション・ブレークダウンって言葉を思い出すよね。(レッド・ツェッペリンの懐かしい曲)

 

なんか、仕事もプライベートも毎日テキストを送ってる日々だとおかしくなってる。じゃない?こんちわーとか言って営業したり接客したりする、懐かしい感じなのがやっぱマトモじゃないかと思う。五感というか、脳を全部使ってる感じがしない。

このエントリー書くキッカケになったのは、毎日の業務(民泊運営代行のカスタマーセンター運営)が全てチャットなのだということ。話さない世界(社会)が実現してるのだ。ひと昔まえならコールセンターだよね。電話応対なら理解の範疇なんだけどね、すべてチャットなんだよね。それで済んでるという状況が驚きなんだよね。多分、近い将来、コールセンター半分はチャットセンターになるでしょう。本格的に話さなくてよい社会の到来です。良いか悪いかよくわからないけど、不気味さを感じるんだよね。オレ。

当たり前だけどSNSもテキストベースだよね。リア充とかいってるけど、もうリアルが充実してるのか、バーチャルが充実してるのか、わからなくってきたよね。バーチャル上の自分を作り出し仮想の充足してるんじゃないか?っていうさ。バーチャルのSNSによって現実の自分が出来上がってるっていうとこまで来てる気もする。例えばFacebook上の自分(のような人)になろうとするとか。もうどっちが主体かわかならい混濁した感じ。(主体はリアルにあるに決まってるんだけど)


身体はリアルにあるわけだけど、脳がSNSや世界観をアプリと連動しちゃってるっていう、感じ。もうつながってる気がする。より正確に表現するとSNSで自分が補完されてるよね。みんな主義主張はSNSやブログのテキストで行ってるわけだから。

なんだっけ、携帯アプリの話だったんだけど、なんつーか、現実社会がテキスト化してるってことへの疑いというか、不安というか、そういうことを書きたかった今朝でした。おはようって文字打つこととおはようっていう声がけとは全く違うでしょって。ぜんぜん主張にも何にもなってないけど、とりあえず消さずに残しとこうw(訳わからんなと削除寸前だった・・・笑)

 

ま、こうやってパチパチとテキスト打つこと自体が快感でもあるんだけどね。あーあ。寝ぼけたまま書き出したし、奥深く重要な話題なので後日整理します~