迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

24時間スタンバイ生活2ヶ月経過

そろそろ自宅待機生活2ヶ月です。母の介護と家事全般でまったく海や山に出かけて行っていません。自宅看護の時も入院してる時もオヤジと2人で誰か家(か病室)に居るようにしてのスタンバイ生活で、フリーで出かけるのは3時間程度が限界だからです。(リウマチで手が効かず自力でうまく食事や着替えが出来ないから) 母の調子良好な時に映画の3時間が限界。友人と飲みに出かけたのも先週末の1回キリです。53歳にして初めての経験。ADHD並みの多動性の性格と行動パターンだったゆえ、今まで自分がこんな平穏な、不変な生活ができるとは思わなかった。ほんとすげぇなと思います。


最初の1週間くらいは、この調子だとおかしくなるなと思ってたけど、慣れてくるもんなんですねー。朝起きて朝飯作って、掃除して昼飯作るか調子良ければ外食に出て、夕食を作って。夜、寝る前に温泉に入るのが一日で一番の褒美の時間。(オヤジが起きてるうちに入ってくる)空いてる時間は本読んだりパソコン見たり。映画はもはや最上の娯楽です。ものすご嬉しい。(明後日公開の映画が先週から楽しみだ)


今日もお気に入りの温泉で1時間ほど温/冷水浴でまったり過ごしてて思ったんだけど、なんだかプチ修行僧みたいだなと思った。座禅や勤行は無いけれど黙々淡々と全く変化の無い毎日を過ごしてる。老人となった両親の段取り悪さなどや我がままの苛つきにも抑えが効くようになってきた。多分、諦めなんだと思う。自分が自由に出かけられないこと、両親が思うように動いてくれないこと。要するに自分の思うように行動できないことへの諦め。 毎日変わるのは天候くらい。天気情報にこだわるようになり、天気がいいだけで嬉しくなる。プチ晴耕雨読な感じで、ちょっとしたことが喜びになるってわかった。


言い換えると両親のスタンダードに合わせてるから老人の毎日を生きてる感じだね。20年後を先取りしてる。遠出もせず(出来ず)外に出るのは買い出しがメイン。友達ともなかなか会えず(どちらか病気だったりして)電話だけ。こういう毎日になるんだなぁと思う。その意味でトレーニングになってる気がするよ。


そしてね、このプチ修行は耳鳴りとも似てるんだよね。耳鳴りも最初は結構な音量で24時間鳴るから「これは狂ってしまうな」と恐ろしかったんだよね。焦った。しかし半年間くらい何とかならないかとあちこちの病院や大学病院で検査受けても治らないと判ってから、諦めれた。老眼と一緒でだんだん身体機能が低下してくるんだねと。そして諦めがついたら焦りはなくなり、症状も併せて軽減していったんだよね。この感覚にこの生活も似てるんだよね。最初自分をコントロールできるかヤバイな〜と思ってたけど、慣れたり、人の面倒をみることが自分を救うことだって気づいたり、小さな喜びの価値をわかり始めたりしてる。要は”諦め”が肝心ってこと。諦めると新しい感覚が芽生えてくるんだと思う。


今回初めて普通の人の生活感覚に少しだけ近づけたんだと思う。田舎に住んで週6日働いて(都会のサラリーマン感覚とは異なる)年に一回も海外旅行もせず、毎週の日曜は子供の試合だったり。これといった趣味もなく、、、オレにはそんな生活全く信じられないと思ってたけど、今では理解できる。それも有りだねって判る。


というわけで、環境が変われば感じ方や考え方も変わるってことだね。新しい発見。やっぱり何事も自分でやってみなければ解らない。だからやっぱり「迷わず行こうよ、行けばわかるさ」やね。このブログのタイトルは何とかまだキープできそうだ(笑)