迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

できるだけエコ・・・

まだ前社で働いていた3年くらい前、アメリカのヒューストンに出張してる最中にふと「あぁ、もうここにはもう来ないかも知れない」と実感した。(思ったの上級版ね、体感したって感じが近い)それからやっぱり元気のある今のうちにやりたいことやってみようと決心した。いつかやりたいなぁ〜と考えてた長期の波乗り旅行だったり山旅だったりね。あ、すぐやるしかないなーと。


それからはもう自動車や他の”モノ”に対する執着がさらに無くなり(もともと希薄だったのだが)、唯一の資産といえるスポーツカーをとっとと売却しおじさんワゴンに買い替え。そして洋服や道具も山で使うものしか買ってない。会社勤めの時は業務に必要なシャツなどは買ったが。で、退職した昨年7月以降は本当に山・海で使用するギアしか買ってない。ジーパンやらはもう10年くらい履いてるし、どうしても必要な普段服は近くの古着屋さん(西海岸)で買ってる。もう普段着に全くお金を掛けたくない。リサイクルで充分だし、全体としてエコになると思った。洋服が廃棄されるのがもったい無いのだ。


無駄使いをしたくないので、山や海のギアもかなり吟味するようになった。2〜3度本当に必要か?考えてから買うようになった。(勤務時代はもう少しざっくり買ってた)欲しいギアがあっても自分で持ってるものが壊れない限り買わないようにしてる。もしくは使ってくれる人が居るなら譲る。会社勤めをやめてからは定期収入が無いので余計にお金の使途については鋭敏になる。友達と飲みに行くのは必要でお金つかうの気にならない。スイスアルプスに行く必要なお金は気にならない。が不要なモノやことに500円でも支払うのは嫌なのだ。今は時間あるので高速道路代を払うのが無駄と感じてる。複数で移動する時は無駄と感じなかったりする。


最近、断捨離しなきゃなぁ〜と感じてるのは本。乱読するからかなりの量になってるのだ。できるだけキンドル(電子図書)にしようと思ってるけど、本の質感(重さや手触り)が好きなのでやっぱり買ったりする。AMAZONで再販するような綺麗な読み方してないので売ろうとも思えない。うーむ、なんだよね。たまに読み返したりすると、やっぱ持っててよかったな、とも思ったり(汗) オヤジも同じパターンだからオヤジとオレでもう本だらけなのだ・・・。


断捨離からエコの話に戻そう。エコってリデュース(Reduce)、リユース(Reuse)、リサイクル( Recycle)、省エネだよね。要するに目的は何か?っていうと地球にとって一番負荷のかかるのは人間の行う活動だよね。工場排水とか排気ガスとか概ねすべての活動。なので人間が地球上から居なくなれば解決する問題なんだけれども、そこはもう誕生してしまった人類の背負った業というか、宿命というか、結果としてそんな人類になってしまったので、できるだけ地球、や宇宙環境に負担をかけるべきではないよね。 (関連:人間は欲望のフリークス・ 地球にとって人間という種の価値


話が少しでかくなってきたけど、せめて使用するものを最低限にして使い回して環境負荷を低減させたいよね。環境ってのは自分以外のものと思われがちだけど自分も含まれているので注意が必要(→もう一度養老さん)なんだけど、人類全体でできなくても個人で実行していきたい。どんどん稼いでどんどん金を使ってモノを消費するっていう経済活動自体、真逆の方向に感じるのだ。最近の話題でいうと金ピカの豪華列車走らせて・・・なんて、どうかしちゃったのか?とさえ思う。偉そうなことを言えないが、もっとやることあんだろうと。また完売してたりするからもう閉口してるけどね。どうしても「欲望のフリークス」なのは仕方のないことだけれど。


何が言いたいかっていうと、突き詰めたら、人間って唯一この世界(地球上+周りの宇宙空間)で考えて行動できる存在(その意味神とも言えるかも)なのに、どうしてそんなに欲を押さえられないのか?どうして根源である母なる地球を破壊し続けることができるのか?とても疑問なわけです。断捨離すべきは部屋のゴミや掃除でもなく、大元は人間の欲望に対してどう対処できるか、ってことなんだと思うわけです。なのに、今日もガソリン使って移動したりするわけですけど・・・ふぅ


そんで、山旅と波乗りはそんな地球との一体感を感じれるもっとも容易な方法だと思う。それを経験しちゃってるから余計にそう思うのかも知れない・・・