迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

自由ってのは・・・けっこうシンドイ。

スイスの山旅を振り返ってなんだけど(まだ毎日このことを考えてる)、やっぱり「自由ってのはかなりシンドイもの」だったりする。どういう意味かと言うと、山登ってる時は目の前に行くべき道がはっきりしているから選択肢は無く、考える必要が無いから。山旅の最中は天気を観察して今日行くか、行かないかの2択。 (ちなみにここで言う自由=時間的・経済的に制約が無い状態を指している)


目の前に行くべき道(今回のオレの場合、山道)があるってのは、それはかなり楽なことなのだ。肉体的にシンドかったりしてもね。行く先の地図も持っているし。


帰国した今、次の山の構想を考える、波乗り計画、地元の友達と遊ぶ、習い事すっかな、アルバイト、就活、いっそ自営?などと選択肢が山ほどあって、自由がゆえに、選択肢が多いゆえに大変で気持ちも心も散漫になってしまうのだ。”海外まで登山に行けたりして、いーよなー、オレ(アタシ)は生活の為に仕事せにゃならんっちゅーのに”、とお思いかも知れないが、明日何をするか?考えるっちゅーのは、結構なシンドさだったりする。


要するにフロンティア(全てを開拓し、やり続ける)なんだよね、自由になるってこと。


自由になりたい・・・ということは実は「自分で全てを、今日を、明日を、20年後を考え続けたい」ということなのだ。自分を律するルール、行動基準も作らねばならないし、限界や際限も自分で設定せないかん。はたまた「自由とは何か?」「人生とは何か?」「幸せとは?」みたいな哲学なことも自分で確定させる必要が出てくる。誰かの、組織の方向や目的やしあわせ感には依存できないんだよね。


少し横道にそれるんだけど、やっぱり思ったのは「時間は金で買えない」ってこと。よく時間をお金で買うっていう表現をする人がいるけど、確かに例えば福岡→東京を飛行機で行けば移動時間が少なくなり時間を買った気になる。しかし、それはちっぽけなことでしかない。時間に制約のない生活ではその数時間を飛行機で移動することによる時短効果はほぼ無いに等しい。その時間に何をするのか?だし、まず海外に2〜3週間行くことを金で買うことができる人は居ないだろう。特に日本では。


お金で買えるものはモノやかなり制限のある体験、だけなのだ。


話を戻すと、明日が決まっている、来週も決まっている、ということはかなり楽なのだ。ただこれってかなり思考停止状態に近くなっちゃうので、気を引き締めておく必要があるように思う。常に新しいこと、考え方を取り入れようとか、イノベーティブにするにはどのようにするか?と自問自答してないとあっという間に惰性に流される。だから、流されやすいオレみたいな人、環境に慣れやすい人は自由になったほうが良いのだ。毎日思案せざるを得ないから。


映画「ショーシャンクの空に」で、50年ぶりに刑務所から開放されるが、刑務所が全ての世界だったブルックスは自由な外の世界では生きていけなかった、ということと重なるよね。あの映画は深かったなぁと再認識した。たとえは極端かもしれないけれど、例えば1社で40年近く勤務して定年を迎えるっていうのは、ブルックスにかなり近い心境になるんじゃないか、と思う。会社(という集団、内的思考)に依存した40年なのだ。同年代の諸氏、主人公アンディのごとく、毎日イノベーティブに生きて出所に備えてくださいね。


間違ってるかも知れないことは、いつものとおり(笑)