迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

走馬燈の経験から・・・

ずいぶん前に書いたんだけどね、2009-10-02 - 迷わず行こうよ、行けばわかるさ・・・大学時代に走馬灯(走馬燈)を見た話。昨日地元の友人と3人で飲んでいて、一人が先日中型バイクで高速道路で転倒した話から、九死に一生を得たやんね〜という流れになり、この走馬燈を見た話を再度した。


(参考まで話はそれるけど、実際この転倒事故現場に追走していたから、Iの転倒から数分後には現場に居たわけなんだけど、転倒したIはまるで別人で最初はIと判らなかった。どこかのおじいさんがコケたと思った。魂が抜けてるってこういうことなんだね。”気”が無くなってすべて弛緩し人相も変わってた。この話はまた別の機会に・・・。)


話戻すと、オレには霊的な体験も全くないし、いわゆる不思議体験ってのはこれくらいかな。三途の川は見えなかったけど、”走馬燈”ははっきりと観た。映画館だったね。オレの場合は1分くらいの実際の時間に小学校1年〜6年くらいの上映を観た。1時間くらいな感じかな。すごく幸せな時間だったんだね。息をしていなかったけど。


この経験から伝えたいことは、「脳は身体に生命の危機を感じると、苦痛の回路を切って、幸せモード(恍惚モードというべきか)に切り替える」ということ。回路を変更するか、脳内麻薬みたいのが分泌されているのか。記憶のなかからピックアップした想いで出をスライド上映。(普段は記憶になかった光景も多かった)オレはそういう映画館パターンだったのだけど、三途の川のごとく川を歩くバージョンがあってもおかしくないと想像できるね。


なので苦痛によがんだ表情をしていても(外からの見た目は苦しそうだったらしい)、脳が生命危険を感知していればこのモードにスイッチされるので、最後の瞬間は怖くないんだよね。確信をもって。(医学的に検証する方法はないのかな?脳内麻薬の話な予感がする…)


この経験から問題かなと思えるのは、モルヒネとか薬物の投与を受けると脳がこの自然の反応をできない”予感”があるってこと。これが恐ろしい。なので、オレは病気でこの状況に近づくことになった場合、最終的に薬物は投与して欲しくないと思ってる。その時点で脳が健全で意識がしっかりあればだけどね・・・。せっかくの幸せのチャンスを逃すのは悲しいからね。