迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

ちょっと開眼?

現在、新潟は柏崎にいます。日本海に面した穏かな美しいビーチがある。太平洋岸のラテンな雰囲気と違って悲しいかんじはするけれど、これぞ日本の美しい海岸なんだと思う。


そんな日本っぽいところで考えた。実は3月に50歳になってさ、単身,今後どうしよう〜と思ってたわけです。45くらいから何が幸せなんだっけ???よく楽しい人生だっていうけど、いまいちピンと来なかった。人生って、行方不明になってた。仕事や今後の人生をどうすっぺかと。家族が居れば少し考える幅がせまくなるかもだけど(そうでもないと友人談w)、単身50歳ってけっこうシンドかったりするわけです。自分の家族が居ない分、何が幸せなのか判らないんだろうと、思ってた。


で、今日は風呂にゆたーっと入ってたら、ちょっと思いついた。それは、自分は誰かの一部で自分も誰かの一部だってこと。身体的には個人の身体のみだけど、あなた、もしくはオレっていうその存在は、親や家族や友人を含めているってこと。だから、あなたが、オレ、が幸せになるにはそれらの人々が幸せになるようにすれば良いってこと。あなただけ、オレだけ、がいくら頑張って名声を得てもお金を得ても、果てしない自由を得ても、幸せにはならないってこと。


思いついた契機は、以前読んだ本の中で、養老孟司さんの「人はよく環境とかいって、自分と周りを隔絶して考えるけど、そうじゃない、周りの空気や水やそれも含めてあなたなんだ。」ってことを想い出したから。どうかな?かなり判りやすくならない?自分が名声を得ても(例えば著名な俳優になっても)、大金持ちになって夫婦二人でどこか籠っても、それじゃーダメなんだね。あなたをとりまく環境(人々、自然)を含めて幸せになるようにする。それが生きていく意味で目標だと思えた。(ん?日本酒で酔ってる?w)


自我と環境を分けた西欧の思想(近代的自我=アイデンティティってやつ)がおかしくしたのだと養老さんは書いてる。そう思う。身体的には自分も環境も同一で一緒くたでわけられっこない。そして精神的には家族や友人も一緒くたで、境界線は重なり合ってる(含み合ってる)ってこと。言って見りゃオレらは=世界なんだね。うーん、随分と気が楽になってゆっくり寝れるぞ。いい感じの柏崎の夜でした〜。


何言ってるの?って方、参照です→もういちど養老さん - 迷わず行こうよ、行けばわかるさ・・・