迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

断念するもの・・・

昨日読んだ本(一億総ガキ社会)で「大人になるって、いろいろ断念していく過程」って、今まで考えたことなかったので、やっぱり衝撃的で。ずーっとどうなんだろうか?と考えてました。


で、まぁ、さておき、来週の福岡シティマラソン(ハーフ21km)に出るため、さすがに一回は走っておこうと、いつもの自宅〜干拓まで往復しました。本読んでスピードは断念することにしたので(笑)楽しく走れました。


・・・で、走りながら考えてたら、オレ、断念するもの・・・無いんじゃないの?!


別に親から○○になれと強要されたこともなく(両親が自分で言うほど、完全放任)、自分で好きにしなさいって、ことだったので、そうしただけで。例えばギターが異常に欲しかったが買ってもらえず、高校生ん時、鉄工所で1ヶ月バイトして買ったり。なんかそういう良家っぽい家では無かったのだ。(両親ともに教員であったが)


確かに、高校の時に防衛大に行きたいなと思ったり(共通一時が555点↓で話にならず)、大学の3年の時、やっぱ医者になりたいと思ったり(親に言ったら、そんな金ないと一蹴・・・)、子供時代から「やれば出来る」と言われたことも・・・無いな。全然、育ちの過程で本にあるような、親が自立を妨げるとか、プレッシャーでひきこもりとか、そういう境遇になってないのだ。要は過保護どころか「放っておかれた」のである。あの頃、みんなそうだったと思う。

多分、みんな高度成長期で生活は忙しく、今みたいに過保護に育てる余裕など無かったんだ、と思う。余裕で食えてて、少子だから現在のようになってる気がする。


で、話を個人に戻すと、ずーっと自信ないまま来て、予備校で勉強したら信じられないほど急激に成績UPし、想定外の大学に入ったことが発端(高校の担任が驚愕)。オレ、集中力あんじゃねーの?と思った。さらにアホみたく無謀になったのは多分27〜28の頃。・・・というか、信じないことには会社やめてオーストラリア行こう〜と思えなかったのだ(当初の予定、そのまま福岡でヨット職人の下働きを開始するのだが・・・)。いや、正確にいうなら「全部を一辺捨ててやり直したかった」。考えてみると、コレ、断念を超えてる(笑)

この言わば清水の舞台から飛び降りる行動にでたのは、どこかで読んだんでしょうね、「何も確実ではないこの世の中。でも100%確実なこと、それは間違いなく、死なねばならぬのだ。」のインパクトある一言。以後現在まで、絶対に死なねばならぬのだから・・・とカウントダウンしてる。なので、<生き急いで>おります。このアタリから確実にこの「行ってしまえ」の行動が始まったんだと思います。


そんなこんなで、すでに断念すべき欲望は何も残っていないのです。あとはスポーツ楽しめる体力と健康があれば。・・・あ、唯一、実現できていない願望は自分の家庭を持つことです。これワタシに問題があります。常に野外活動>女子だったからです。せめて野外=女子くらいにはしないとw(ダメ?)。あと2年半をMAXに活動中です。50歳までに自分が変わることが無理であれば、断念します。行動してだめなら仕方ない。
・・・という訳で、朝令暮改ですが、やっぱり「迷わず行こうよ、行けばわかるさ・・・」でいきたいと思います。


ご子息をお持ちのかた、「何でもいいけんアンタが好きなようにしなさい」という教育をするとオレみたいのが一丁あがりです。もう少し路線を敷き、プレッシャーかけてください(笑)