迷わず行こうよ、行けばわかるさ

何でも経験してみなけりゃわからない。やってみると先がみえるよね。還暦オヤジのダイアリー。

田舎育ちの感覚

田舎の高校を出て都会に憧れ上京し、そのまま就職、都市部で仕事をするも28でUターン。だが再度仕事の流れに乗ってしまいまた各地を転々、あげく40歳で東京へ戻る。また5年後の45歳でUターン。都市部の生活はせいぜい5年が限度、鮭が生まれた河にもどるように帰りたくなるのだ。

 

この感覚は都市部出身(地方でも県庁所在地やそれに近い都市部出身)には理解できない、田舎出身の人にしかわからない(と思われる)感覚があるんだよね。親がいるからとかそういうんじゃなく、ただ地元に戻りたいって感覚。それまではずーっと仮の姿なんだよね、東京に居てもどこに居ても。いつか地元に還ることが前提で頭の中にあって、その上で行動してる。だから東京でマンション買って住もうなんて思わなかった。中継地点の福岡市では買おうと思ったことはあるけど。

 

これから当面はここに居るけど、退職なり離職なりでまた一時期何処かへ行くでしょう。(希望地は熱気あふれるアジア)だけど、またここに還ってくる。もう紛れもなくね。死ぬ場所はここなのだと思ってるということかも知れない。もう東京の大学出たくらいからそう刷り込みがあったように思う。就職してから帰郷までの還流する過程を楽しく、色濃く過ごそうと思った、というのが一番表現が合ってる気がする。海外に出たかったのもその過程の一環。だから全く保守的にならなかったし、出た目や機会で動いたし。

 

こう書いていたってきっと半分も伝わらないだろう・・・。前に書いた、田舎から都市へでる時、またその逆、駅のあたりで感覚が切り替わるスイッチが内蔵されてる人だけ理解できるんじゃないかと思う。自動的に常識とか社会性とかそういう感覚が変わるんだよね。(参照エントリー→思考スイッチ

 

もう、これくらいしか表現できない。けど、鮭みたいな還流行動を説明したい。自分でも理解したい。家族がいるからというのは大きいと思うけど、誰も居なくなっても還ると思う。本能のなせるわざなのか、はたまたノスタルジーとかそういうことなのか・・・まもなく54になろうってのに解せない事が多すぎるよね。ほんと。だから本読んだりすることが面白いんだろーね。

 

とりあえず鮭の本を読んでみよう。きっと彼らと一緒な気がするw

 

久々に就活した話-2

オヤジと2人の生活になってはや7ヶ月。まだ母の遺品整理は済んでないものの、気持ちも落ち着いてきたこと、相変わらず友人はみな忙しく働いてること、1人じゃ海や山に行っても楽しくないと理解したこと、個人で事業を起こすにもここではかなり厳しいこと(急速な人口減少等)、新しい人間関係をここで生み出したい、またお金を稼がないと貯金だけでは一方的に減っていくだけで萎縮しちゃう、ということで、やっぱりバイトなり正規なり、先々の生活に役に立つような仕事で働くことにしようと昨年末から動き出しました。

 

 今年に入り年初に就活エージェントさんとの面談で昔の記憶を想い出してしまって気持ち揺り戻しがあったりして困惑したんだけど(→久々に就活した話)、1週間もしないうちにまた過去を忘れてゼロからのスタートにリセットできてきてた。

 

なかなかここに住んで仕事に就くとなると難しいものがあります。いくつか近くの会社に応募して年齢制限で書類審査でNGだったんですが(初めからダメ元で送付状に採用されたら可能なことなどを詳しく書いて送ってた)、そんな状況のなか、幸いにも地元で働く機会を得ることができました。65歳の定年まで11年しかないのに採用いただき感謝です。現在までの経験を活かしたいと思います。これで2年半ぶりの定期雇用、場所的には高校時代の鉄工所バイト以来、約40年ぶりの地元勤務と相成りました。今週末くらいから準備に入りそうです。

 

一ヶ月強の就活期間を振り返って思うんだけどね、就活はやっぱり最初にフィルター設定するのが大事だよね。今回、少し遠回りになったのは第一のフィルターに「楽しいと思う仕事」、第二のフィルターに「通勤可能圏内」を設定したこと。第一に「通勤可能圏内」、第二に「楽しいと思う仕事」の順番に設定すべきだった。なんとなく福岡市内や熊本北部も視野に入るよねーと思ってたけど、実際に福岡へテスト通勤してみたら毎日だと家には寝に帰るだけになっちゃう。

 

これから就活する皆さん、自分にとって重要なフィルターは何なのか?をよくよく考えて順位設定してくださいね。業務内容なのか、大手かベンチャーか、地元にいつか還ってくるつもりなのか、一生海外でもOKかとか。初任給の多寡や福利厚生、上場会社とか、そういうのはほぼフィルターなしで人生の選択をしちゃうことになるから、すぐに数年で迷走しちゃったりするよー。自分の成長像を想いながらフィルターをセットしましょう。

 

話がずれてきたけど、そういうわけで”人生やりたいことをやろうシリーズ”の本質は変わらないけど、内容が変化し 「オヤジと一緒に地元に住んで、地元で楽しもう~」に 修正となりました。そんで結局はブログのタイトル通り、いつものように思ったようにやってみる、迷わず行こうよ~行けばわかるさ、です。中長期の山や海での活動は退職後の楽しみにとっておくこととします。

 

なかなか東京や都市部に行く機会が無くなると想いますが、間隙を縫って出現したいと思いますので、その時はよろしくです。

隣にアパート建設中-2

f:id:k-surf:20170131111458j:plain

 

隣にアパート建設中のVol2です。隣の家、庭の木々や塀も撤去されすっかり更地になりました。ここは昔、祖母のお兄さんの家だった。ついに家とともに子供時代の想い出も消失です(寂)まぁ時の流れだから仕方ないけどね・・・。(右の家屋がウチです)

 

で、前回も書いたけど、こんな場所でアパート建てるのがやっぱ信じ難い。それでもう一度、市内の人口増減なんかを表にしてみた。そうするとこんな感じ↓

 

f:id:k-surf:20170131201836p:plain

 

上記が1995年から現在までの実績、そして2025年までの推計。(データ元:第4次柳川市高齢者保健福祉計画) 1995年から30年で人口が24%減少。そして65歳以上だけが増加していく。どう考えてもこの傾向は続く。こんな状況のなか、ここにアパートを建てるってのはどうにもやっぱり理解に苦しむ。戸建てに住んでる65歳以上の人が小さくて快適であろう賃貸アパート住む可能性があるのは解るけど、その子どもたちがここで結婚し近くのアパートに住むってのもこれからは増えないよね。だって対象の労働人口は減っていくわけだから。

 

マイナス金利政策で借り入れ金利が安く融資を受けやすいのはわかるどね、建物代、数千万(多分3~4千万とか)の投資を今ここにするのか?って話。相続税対策なのは理解できるけけど、他の方法があるんじゃないの?って。それもググってみると30年返済とかのプランだ。30年先は今の傾向でいくとほぼ人口は半減だよ?金利は今は安いけど、かならず上がっていくだろうし。どうしてGOしちゃうのだろう。

 

ひょっとして土地の価格が下がらずに、または上昇の推移してるのか・・・? 調べて表にしてみたら

 

f:id:k-surf:20170202105911p:plain

1995年の22万1,756円/坪をピークに毎年下がりつづけ→2016年は9万3,168円。つまり58%値下がりし1995年の42%なのだ。直近では2015→2016年だけで2.08%下落してる。当然今後も2%前後でさがり続けると考えるのが妥当。(引用元:柳川市の公示地価・基準地価マップ・坪単価

 

やっぱりだよね。人口は減り続けるうえに土地の価格も下がり続ける。地元で商売するのも段々と先細っていく傾向にあるし企業も増えていかないだろう。高齢化だけが伸びていく。つまり余程でないとこの地に移って家を買って住もうとは思えない(川下りや水路脇の散歩道は大好きでオレは住みたいけど)。これはここだけじゃなくて多くの地方は同じだって想像できる。IT主力・低コストで「新しいことやるから心配ないもんね」と事業起こすににはチャンスだけど、そういう人や能力は都市部に居る。AIの進化やICTの加速発展第2段なタイミングなのにね。(ご参照→ワーク・シフト 

 

土地活用は当然よいと思うのだけれど、投資や相続税対策でアパート・マンションを建てみるかって融資を受けてアパート建設を考えてる人、10年家賃保証とかあってもそれ以降は全くわからない。もう一度考えてみてはどうかなと思うよ、マジ。

 

メルカリで断捨離中

長らく継続してる登山ブームですが、だんだんと登山スタイルも重たい装備(テントや食料品)を携行するんじゃなく、山小屋あるところは山小屋を利用するようにしよう~って方向になりました。軽いほうが山自体を楽しめるから。それでスタイルの変更に伴い、今後使わなそうなヘビーデューティすぎなものをメルカリで売っています。実際に使える状態のよいものだけです。

 

ついでにバイク用品も一緒に実際売ってみたら、半分くらい即売れしまっていておそらく値付けは妥当なんだろうと思われますが、使ってくれる人が居て嬉しいし、自分ちにあるだけの状態ではもったいないし、予想以上に心も軽快になります。また、今後使うのかどうか?仕分ける作業もどういう生活をしていくか?っていう方向性をも再検証させてくれます。(大げさ) 1個3分くらいでUPできるので簡単だし断捨離好きにはたまらないメルカリです(笑)

 

こんな感じです→ https://www.mercari.com/jp/u/658463257/

 

 

久々に就活した話

こないだ書いた退職後、何をしますか?2 。介護や事務作業色々あったけど落ち着いてヒマになったから、さて75歳くらいまでは働くぞー もうすぐ54歳だから60定年の場合あと6年、65歳定年の場合11年あるのだけれど、それ以降も何かしらで働き続けようと思ってるので(理由→完全リタイアは難しい )、退職後に繋がる布石のある仕事を探し始めた。退職後に自力で活動できる、もしくはアジア居住に繋がる職種。(65歳~単身だったら、年金をもらい始めたらアジアで仕事、半年滞在なんかも考えてるから。なんせ勢いがあるから)

 

で、年末にある会社に応募しようかなと人材紹介会社へ。海外へ商圏拡大をしようとしてる近場の会社。年齢は少しオーバーですけど先方は大丈夫ですとのことだったので。で、数時間かけて履歴書と職務経歴書を作って事前にメール送付してた。で、当然面接になり、これまでを説明するわけですよね。んで、オレ、職歴を伝えるのがすげぇ大変なんですね、会社が無くなったり、買収で移籍したり。結果何回も転職したから(することになったと言ったほうがいい)。なんでここ辞めて、この会社に転職したんですか?をそれぞれ説明しなきゃならない。向こうもプロのエージェントさんだから、直接企業に面接される時より色々とチェックするんだよね。

 

説明してるとその頃を思い出し脳裏をめぐる。現在に至る頃には担当さんもオレもお互い疲れちゃう。疲れるのは良しとして、大事なことなんだけど、「忘れて暮らしてる過去を振り返えさせられるってのはあの頃の昂揚した感覚も一緒にぶり返してしまう」ってことなんですよ。東京のど真ん中で外資が入るこれぞ都会っていうオフィス生活を思い出しちゃう。六本木の有名ビルにもデスクあったりしたことを。良くも悪くも昔のこと。

 

あの高層ビル群での生活は人も多く決して幸せって実感してたわけじゃないけど、熱気みたいのに包まれて昂揚してたと想う。あの生活と現在の田舎生活を比較したらいけないのです。郷に入れば郷にしたがえなんですね。帰郷してすぐにガソリンスタンド勤務したのも強制リセットするスイッチでもあったわけです。(そっち行くか~と言われたがやってみたいと思ってたから。いらっしゃいませ~系がそもそも好きなのである)新規カード販売記録更新など楽しかったけど、立ちっぱなしで腰が痛くて耐えれなくなって試用2週間でやめちゃったけど。なのでここは職歴に入ってません。ハローワークの人が試用なんで入れなくていいってw

 

結果、面談終えて人材会社から帰る頃には、興奮さめやらず、やっぱ都会でもう一度みたいな感じになっちゃってる訳です。もともと田舎の駅に降り立つと思考スイッチが入れ替わるんですが(→思考スイッチが入る )、それが極端に入れ替わっちゃった。オヤジと一緒に田舎に住むって決めてるのに。すぐに単身自由で海外でもどこでも興味あれば勤務OKだった感覚になっちゃう。そんで一回このぶり返しFreeパターンになると元の地元バージョンの考えに修正するのがすげぇ大変になるんですね。ゲームみたいに行かない。現在は2週間ほど経過したから田舎モードに戻ってきてますが。

 

そして考えてみると、大学卒業して途中解雇なんかもあったわけだけど、結局常に自分で思うように動いてきたわけです。面白くて楽しかったから転勤も平気だった。自由に動けなくなるので結婚しようなんて実は思いもしなかったんです。生活の場所を定めることが生来苦手なADHD気味の性質も相まってね。なんで結婚せんの?と言われることも多かったのだけれど、いやー興味なくってというしか無かった。(移動も容易ではなくなるし不自由で面倒じゃん、結婚というスタイルはどうか?と思ってたけど言えはしなかった)

 

なので、今回、生活する場所をまず決めて仕事を探すの初めての経験なんです。ちょうど主婦の人が条件でさがすような感じ。世の中の多くの人が家族のことなどを考えて仕事を変えないといった(友人によると8割はそうだとのこと)初めて制約された自由じゃない状況を経験することになる訳なんです。理念より現実ということかな。その中で65歳以降の退職後につながるような職をさがそうとしてるというわけです。

 

今までずーっとやりたいことをやらないのは人生じゃないと言ってたし思ってた。→「人生は出会った人との思い出でできている」。今でもそう思ってるけど、そうじゃない期間もあるのだだろうと思ってます。てか、実家でオヤジと一緒に住もう~ということ自体も望んでるわけだから、思ったように生きようとしてるんだけどね(笑) 少し窮屈になることさえこばんでるって感じかな。(どんだけわがままやねんっ)

 

というわけで、久々に就活再開して思ったことでした。